サバの味噌煮のブログ

16歳の主に映画やドラマや本の感想

夢見月に何思ふを聞くと胸がキューっとなる

真夜中に久々になぜかこの曲を無性に聴きたくなって一年ぶりくらいに聞いてみた
この曲は私が小学四年の時に知って凄くハマって毎日のように聞いてた気がする。
けど高校一年生となった今に聴くと今の私自身に重なる歌詞が多すぎて今この曲を聞くべきして私はラッドと出会ったんだなと感じた 大袈裟すぎるかもだけど…

全ての歌詞が私に刺さりすぎてこのエモいという一言で片付けられない感情をどこにぶつけたらいいのか考えた挙句、中々投稿できてなかったブログにこの気持ちをしたためようと思った

「あなたを見ているんだ あの日の若きシラベは
ワタシを羨むあなたが 振り返ったときに言えるよう
「待っている」と」
いつか私もこの歌詞にあるように昔の自分が振り返った時に待ってると言えるような人間になりたい

「いつかの「忘れちゃいたい」僕も 「なんで言っちゃったんだ」の僕も
好き嫌いとかじゃないくらい僕を愛でてくれたみたい

泣いた 笑った 叫んだ その"今"の連鎖が僕なら
偶然の上に生きてきた そして「今」の僕に会えたなら
悲しみよ 苦しみよ 痛みよ 気持ちよさよ ありがとう」

小学生の頃、この歌詞にどれだけ救われた事か…悲しみよ 苦しみよ 痛みよ 気持ちよさよ ありがとう なんて歌詞を歌ってくれたおかげで今の自分があるのは悲しみや苦しみや痛みや気持ちよさがあったからなんだと気付けた。野田洋次郎ありがとう…

「いつかの青すぎた夢も 季節は教えてくれよう
再び出会ったときに 見舞うその色は違えど」

小学生の頃に持っていた青すぎた夢も今となってバカだったなって気づいて、だけどそんな昔のバカな自分が好きで昔に戻りたいな…と胸の奥がツーンとして、この歌詞は小学生の頃の自分にはよく意味が分からず響かなかったのに今になって響きまくってメロディも相まって泣きそうになった…そして途中の口笛の間奏までもが胸を締め付けられ泣きそうになる

「昔を惜しんでも 先を恨んでも その全てがもう 今の君なの
忘れたい君も 忘れたくない君も 作ってきたの 今の君を
記憶にある僕 思い出にない僕 その全てはね 僕を知ってるの
色付いていくの 一つになったの それが君なの」

ここから最後の大サビへ行く流れがメロディも狂おしいほど好きで胸がキューと締め付けられる
忘れたい君も忘れたくない君も 作ってきたの 今の君をなんて歌ってくれて応援してくれるバンドは私はラッドだけだと思っている
頑張れ!とか転んでも立ち上がれ!とかそんな薄っぺらい歌詞じゃない。これは過去への後悔に苛まれてる人へのラッドの応援歌なのだと感じた

今は中学生の頃不登校だった事で毎日後悔の日々だけど、そんな後悔を「昔を惜しんでも 先を恨んでも その全てがもう今の君なの」と歌ってくれるラッドがいるから、いつか今の自分が在るのは中学生の頃の自分が居たからだと胸を張って言えるようになりたい。